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行きましょう

自分では幻想的と思ってた想像の場所にいきなり現実にたどり着いてしまう事がある。

要するに昔行った事があった場所だったのにすっかり忘れて自分の妄想と勘違いしてたということである。 「行きましょう」という曲を作っていたのはかなり前で2010年くらいから少しずつ作っては放置しつつを繰り返し前回のアルバム「requiem」に入れようとしたもののちょっと違うのかな、、と、また作り替えて、また寝かし、また作り替え、そろそろ諦めて公開しちゃいましょ、となったのである。

少しずつ塗り重ねていった絵のようなそんな感じだろうか。


作るたびに思い描く森の中の吊り橋があった。

かなり怖い橋で渡った末も森で帰って来られなくなるんじゃないか?のような橋だ。 霧がたちこめ一寸先は闇のようなそんな木々の吐く酸素で苦しいような場所だ。

まだ、私が小さい頃悪い事をしでかしてさらに「ごめんなさい」と詫ることが出来ずでいると父の運転する車に乗せられ群馬の高崎山の高崎観音のあたりに夜だろうがなんだろうが置き去りにされるという恐怖を味わわされた。厳密にはちゃんと物陰から見ててくれたらしいが巨大な観音様がライトアップされ白く浮き上がってた夜はかなり怖かった。(父の作り話で)道路にじっとしていれば少年院の人が迎えにきてくるという具体的なアドバイスの通りウロつかずじっと暗闇に耐えていると「あやまるか?どうするか?」と父の車がまた近づいてくるのだ。

当時の父の話の一部にはその(架空の)少年院は橋の向こうにあるので迷ったら橋を探してそれを渡っていけばいい、ということだった。

このトラウマの暗闇の森の恐怖体験があってか高崎観音山には大人になっても近づかなかった。

が、本当にしばらくぶりに行ってみたら巨大な観音様の奥に吊り橋「ひびきばし」があるという。 あれ?そんなところあったっけ?と思いながら山を歩きやっと辿り着くと

そこは、あの、自分が幻想を膨らまして曲を作っていた「行きましょう」な場所だった。

その橋が本当にあったのだ。

ああ、、わたしの幻想の元は結局群馬か・・。と若干がっかりしつつ吊り橋を渡ってみたがこれがかなり怖い。高さもかなりあって下は谷底だ。 しかも途中で巨大な観音様も拝めたりしてかなりあの世感がある。



何か特別すべてが美しく感じるとき、いや、実際夕暮れや朝焼け、特に朝焼けかもしれないが世の中すべてが本当に色彩豊かな美しい瞬間がごく稀にある。

そういうときはいつもの普通の場所がどこまででも時空を超えて行けてしまうようなそんな場所になる。

いや、、

私は小さ頃置き去りにされたとき時空を超えて吊り橋を渡っていたのかもしれない。

「自分は悪くない、あやまるくらいならいっそのこと吊り橋を渡って二度とこっちの世界なんかに戻るものか!」と

強く思ったあの瞬間に渡ってしまっていたのかもしれない、ぞ、と。

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