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素手で土をならす

古い家を壊し整地しまっさらにしてから建売の小さな家を建てて売るという、私のあまり好きではない風景をよく見る。先日も素敵な庭があった家を根こそぎ壊しあと少しで咲こうとしている梅からなにからなにまで掘り起こしてすべて撤去してしまったところを作業の人々が何人かで平にする作業をしていた。聞こえてくるのはわからない言語だ。肌の色や言葉の感じからしてアラブ系である。ニコニコと楽しそうに普段より寛いでいる彼らは、さてこれで作業終わりというところらしい。そこを私が通りかかった。男たちは軍手をとって素手で平に土をならし始めた。当たり前のように。丁寧に。夕陽に照らされるそれは何か別世界、そう、広大な砂漠にでも連れてかれたかのような錯覚になった。 すぐに家を建ててしまうほんの何日かのために彼らは素手でならすのである。

それは慣習からくるのであろうか、とても丁寧な土に対する生活をしていた人たちでなければあのようなとっさの行動はするまい。 そこを通り過ぎる何日間かは彼らがならした赤い土を見るたびに心が締め付けられるようだった。「彼らは本来どんな暮らしをしていた、いや、すべき人たちなのであろうか?」 それからその土地を半分にして建売住宅が庭もなく誰が住むかもわからず建て始められた。彼らが素手で土をならしたところなど、微塵も見えない。

そしてしばらくして(昨日だが)こんな本を読んだ。 https://yukakomatsu.jp/ 小松由佳さんの「人間の土地へ」 私は映画でも本でも登山家モノがなぜか好きで、彼女の事も知っていたがふと気づくと昨年末本が出ていた。

女性としてK2登頂成功後になんとシリア人と結婚して子育て中という。そうだったのか、読んでみよう、と。

軽い気持ちで読み始めたら壮絶かつ本能のまま生きている彼女のノンフィクションは

あの「ザ・ノンフィクション」どころではない。 のめり込んで一気に読んでしまった。

ああ、あの素手のひとたちは、この人たちなのかもしれない、ふとそう思った。

シリアを離れ世界に散らばってしまった丁寧な暮らしをしていた人たちだったのかもしれない。いや、そうに違いない、と勝手に結び付けて感慨にふける。 まさかこうなるとは夢にも思わないで生きてきたはずだ。

そういう人たちが無数に世界に身近にいるかと思うと、さて、自分なりの

「まさかこうなるとは夢にも思わなかった」とはなんだったのだろう。 そして

またもや、人間ってどんな動物なんだろう、と思うのであったぞ、と。






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