柳美里が「飼う人」という小説に関して飼うとは祈ることに似ている、と書いていた。 イモムシ(幼虫)だったりウーパールーパーだったり、犬猫ではない変なものを飼っている主人公たちの短編集なのだが気持ちが痛いほどわかる。が、祈りという言葉とは結びつかなかったのだがそういえばこういうことなのか、と最近気づいた。
私は無類の犬猫好きで、というか動物が大好きで叶うことなら飼いたいというか一緒に暮らしたい動物が山ほどいる。小さい頃から犬や猫と暮らしていたし人間より犬猫のほうを信頼している。 が、しかしだ、魚は苦手だ。第一水の中にいるし触れることできないし申し訳ないが可愛いとは思えない。なのに子供が小赤とデメキンをお祭りでもらってきてしまった。
散々返してこいと言ったのだが面倒みるというので許してしまったのがそもそもの間違いだった。結局私が面倒みるはめになった。
全く知らない金魚について、あれは水の中に入れておけば何とかなるだろうと思いきや
まず、デメキンがコアカにいじめられ死にかけた。
そして1週間に一度塩素を抜いた水を半分程度入れ替えるという。
そんなめんどくさいこと絶対にいやだ。
と、いいつつやりはじめた結果、繁殖までしてしまいコアカは倍増
デメキンがあまりにブサイクなのでマシなのを仲間に入れようとランチュウ系(丸いので金魚の中ではちょっとかわいいかも)を飼ってきたらそれもうっかり繁殖。
ついに三十匹くらいを養魚場のように飼う羽目になってしまった。
これは何なのか?これは修行か?
毎日糞をとり、アカムシの冷凍を解凍して与え、ありとあらゆる病気のための薬を揃え、塩素を取り除く浄水器を買い、とにかく金をつかって楽になるならとフィルター、ヒーター、冷水機、何でも買い揃えて飼育した。というか殺せなかったのである。 全く好きではない金魚にだ。
そして気づいた。生き物を飼うことは糞尿処理をすることなのだと。
処理をするのに膨大な時間がかかり顔などみている暇もない。
だが、病気になると「お願いだからよくなって」と願う
好きでもない金魚にだ。謎だ。 病気はどうやらよくよく調べると、お祭り金魚だったためか抗酸菌症 というのが伝染してしまっていてそれが全てに蔓延してしまったらしい。不治の病なので皆ウロコが開いて松かさのようになって死んでいったりボツボツが破裂したりして悲惨であった。 調べに調べて紫外線やヨウ素にのぞみがあるらしい、いや、緑茶のカテキンが無敵らしい、、などなど。 そんな時、コロナも蔓延してきた。
そして世は金魚と同じことを言っている、紫外線だヨウ素だカテキンだ。 ふと思った。地球はほぼ海だし、人間ももとは海からきてるし、濃度も一緒だし結局同じか。と。 そしていくつかわかったことがある。
金魚は多くの卵を産む。気づけば繁殖している。そして奇形がウヨウヨいる。
私はシロウトなので間引くなど怖くてできないし恐る恐る育てていくが奇形はやはり早くに死んでいく。弱いものから死んでいく。同じ親から生まれ同じものを食べ同じ環境で育つのに死んでいく。もうしょうがないのだ。かわいそうなので一通り薬も与え隔離し最大の努力をしようがなんだろうが死ぬ。
と、思えば病気に全くならずに普通に生きているのもいる。 よくよく見るとなんと食い意地の張っている欲張りが病気になって死んでいくのだ。 最初は勢いよく大きく育つのだが我こそ我こそと食っているうちに内臓やられて死ぬ。
ハァ何やらこれも人間の世とだぶってくる。 どうせ死ぬのならできるだけ自然の環境にしてあげようと最近は逆さまに浮いてくるやつ(転覆病)でも放置してあげることにしている。スイスでは金魚を一匹で飼うと犯罪になるというくらい(それに惑わされて飼って繁殖地獄になったのだが)集団で生きる生物らしい。 さて、こうやって私はまったく興味も愛もない金魚を飼うはめになり
毎朝仏壇の仏様の水を取り換えるように金魚の水を換え、糞をとる。
これは祈りでなくてなんなのであろう。
朝起きて自分の範疇でない生き物の様子を「大丈夫か?」と見るのは何かご先祖様に「今日も無事でありますように」と定文を呟くのと似ている。 いや、金魚だけではない、全て生活というのは何かしら祈りのようなものに最近思えてくるのである。 さてその金魚。だいぶ淘汰されて残るところあと十匹を切った。
5年以上生きているのだから長寿の部類に入ってきた。 (あの十匹が天寿を全うしたら2度と魚は勘弁だ。そしてぜひ犬を飼いたい。) 金魚には高価な外部フィルターも薬もあまり役にたたない。基本は綺麗な水で少食に。コケもとりすぎない。いつのまにか玄人ぽいセリフが言えるようになってきた。
そしてその糞。夏は外で飼うので糞はそのまま庭木に撒かれる。それが植木の良い肥料になって家の周りの木がよく育つようになった。 こうやってうまく循環すれば、木々も繁って環境もよくなり私も森の中で制作している気分になって(ウチにくる人にはジャングルと言われている)良い曲が作れるようになるはずだ。 祈りは決して無駄にならないはずだ。ぞ、と。
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