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カキアゲキネン

小澤征爾さんがあちら側に旅立ってしまった。

一番思い出すことは自分のいわゆる黒歴史だ。 私はエキセントリックオペラのアルバムでラヴェルのボレロをアレンジしているのだがそのとき「ポップスは4拍子」の呪縛でボレロを一拍多い4拍子でアレンジしてしまってた。というのもそもそもボレロはお茶の間ドラマのテーマ曲として作っていたからだ。

そして、その流れでそのボレロをオーケストラで再演してみてくれないかな?という企画に軽くのってしまった。愛知県芸術劇場の大ホールで生オケで。と。まあ、なんとかなるでしょう、、、くらいに思って引き受けたとき、そのオケの企画に名前をつけてくれませんか?というのでうっかり「カキアゲキネンオーケストラ」にでもしといてください、と言ったまま放置してたら本当にそんなチラシができてきてそんな企画が成立してしまった。「なんと!これはヤバい」と慌ててその4拍子のボレロを生オケ用にアレンジし、さて本番前日のリハで大問題が起きてしまった。

オケのひとたちはもちろん3拍子でボレロを何度も演奏している、、なのですぐに3拍子化して間違いが多い。さらに鳴り物や多重コーラスや騒がし物を作り込んでmacと同期させるのでクリックに合わせて指揮を振ってもらう段取りだった。

が、、、大変なことに指揮者がキレてしまった。

「なんで俺がこんなクリックに合わせて棒振らなきゃいけないんだ?!」と怒鳴る。

私としては何をいまさら!!と、なんとか明日に間に合わせなきゃいけない、と焦る。そしてオケのひとたちは「休憩します〜」といなくなる。

はあ、、、もうどうしたらいいのか、、と

そのとき思ったのだ。

指揮者のその尊厳は守ってあげたいが仕事だからやってくれ。

オケのひとたちもせめて最後まで音を合わせてくれ、それが仕事だろ、、と。

完全に4拍子のボレロなんかやれるか!ラヴェルをバカにしてるんか?という雰囲気。

さて、、ここでいったい誰が悪いのか?

私なのか?企画なのか?指揮者なのか?オケのひとか。

そんな禅問答をしている時間もなく(それも問題だろう)本番になってしまった。

が、、結構うまくいって(さすがプロですね、やるときはやる、だったら最初からやれよ)

難なく面白い企画として成功した風にみえたのだが、、、このときから私の中では延々にクラシックアレンジの難しさがしこりのように残ってしまった。

クラシックを面白くということは何も思っていない。(しかし良くそれを望まれて困る)

そんなことがしたいわけではなく、いや、、しかしあのときはうっかり軽かったのかもしれない。

さて。

先日の辛い「事件」が思い出される。

漫画家の先生がテレビドラマ化されたときの尊厳が守られなかったのかオリジナルとの違いに苦しみ自死してしまった事件だ。さてカキアゲキネンで私は漫画家ではなく脚本家の立場であった。

「おもしろおかしく自分なりに」してしまったのである。

では、そういう事が一切だめなのか?というと

バッハ=ブゾーニなら許されラヴェル=カキアゲなら許されぬという事もなかろう。

ラヴェルの展覧会の絵なんて原曲を超えている(というと逆にムソグルスキーの尊厳を踏みにじるのか?ああ難しい)

演奏家も「解釈」というアレンジをし続けなければ音楽は成立しない。

どこまでが尊厳を守っている範囲でどこからが破壊なのか?

よく聞く言葉に「作曲家の気持ちになって演奏しなきゃ」「その時代背景をよく考えて」

とかある。

私が作曲家だった場合そんな私の気持ちなんかどうでもいいのであなたの気持ちあなたの時代で演奏してほしい。たとえそれがめちゃくちゃであってもそれでいいと思う。

と、、なると

結局人それぞれ、、なんていう適当なあいまいな結論になってしまいそうだ、が、

もうそれしか言いようがない。

指揮者も演出家もおそらく禅問答を繰り返しながら作り上げていくのであろう。そして村上春樹が素晴らしい答えのような文章を書いてくれていて昨日からその言葉を繰り返し咀嚼して味わっている。

「虚飾を排した誠実な発露」で「文体自体が消えていってなくなり、あとには物語だけが残る」ああ、これだよ、これ!!と思う。

自分が消えてなくなり、あとには音楽だけが残りたいのだ、ぞ、と。

「小澤征爾さんを失って」  村上春樹さん寄稿より抜粋


そこには過度なメッセージ性もないし、大げさな身振りもないし、芸術的耽溺もなく、感情的な強制もない。そこにあるのは、小澤征爾という個人の中に確立された純粋な音楽思念の、虚飾を排した誠実な発露でしかない。彼はそれを立体的な音像として、満席のコンサートホールに鮮やかに再現することができた。作家が文体を真摯に追求すればするほど、文体自体が消えていって見えなくなり、あとには物語だけが残る――そういうことが小説の世界にはある。征爾さんの晩年の演奏は、あるいはそういう熟達の境地に達していた








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