それは人間ドックに行った朝だった。人間ドックのための1年に1回しか乗らない早朝の電車内で私はつり革につかまって揺られていたがよく見れば目の前のスーツのおじさんの頭が何か異様な光を放っている。黒なのだが玉虫色のような緑光だ。ええ?まさかね?と、だんだん理解してきたのだが、その頭は見事なスキンヘッドに油性マジックで髪の毛が描いてあるのだ。直にだ。うーんこれを立体的というのか平面的というのかわからないが厚みがないので平面的というのだろう。ヌラヌラと結構雑に髪らしきものが描いてある。咄嗟に私はつり革の隣の人の目線を盗み見たが隣人はいたって平静。反対側の隣人も平静。新宿についてその油性マジック頭おじさんが立ち上がって駅に降り立つときも誰一人として騒がない。誰も激写していない。あああ、、撮りたい、、て思っているのは私だけ?となると私も平静を装って油性マジック頭を追ったがあっという間に階段登って消えてってしまった。なんなんだ、この平静さは? 1)この油性マジック頭おじさんはいつもこの時間この車両に乗っていて皆顔見知り。初対面は私だけ 2)そんな事より今日1日の自分の仕事のことで頭はいっぱいでマジックだろうがヅラだろうが他人のことはどうでもいい。 3)人それぞれ多様化個別化している現代社会においてよくある日常的な現象である。 (油性マジックで髪を描くのは私が知らなかっただけで今ではあたりまえ)
と、最初1)なのか?と思ったが、もしや3)なのでは?と思ってきた。 と、こんなにも多様化に動じない世の中になったんだなあと。
おじさんがすげえのではなく動じない今の時代が凄いと感じた朝であったぞ、と。 追)おじさんは多様化を拒み手軽な油性マジックで大衆化を図ったにもかかわらず手段がチープだったためうっかり個性的になってしまった、という説も否めない。
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