今更だが最近実はJpopを聴き始めた。別段嫌って聞かなかったわけではない。チャンスが全くなかったのだろう。テレビを見ないラジオを聞かない私には入ってくる予知はなかった。が、しかし最近サブスクでお勧めがたくさん出てくる。YouTubeで勝手に流れてくる。うざいなぁとおもいつつ聴くと、え?いいんじゃ?とその人の他も聴き始める。
話はそれるが、私はつい最近まで植物の「花」の良さは全くわからなかった。
植物といえば森でしょ。森といえば花より密林。そうやって森第一主義だったのにホロっと咲く花に心が奪われるようになり、意外と桜も綺麗じゃ?とか思い始めた。
音楽といえば歌詞ある歌の歌詞に心奪われることはなかった。
音楽といえば音でしょ、音だけ。純粋音楽が一番。と歌詞を見ることすらなかった。
が、しかしホロっと聞こえてくる歌詞に心が奪われるようになり、いや皆Jpopの方々というか日本語で歌詞を書いている皆さんの凄さにやっと気づいた。
私は小さい頃から読書好きでおそらく音楽をしている時間より読書してきた時間のほうが長いだろう。しかも日本人の小説をかたっぱしから読む。
が、言葉に心奪われることはなかった。話の展開に構築に心を奪われていたので物凄い読むのが早い。そして最近言葉そのものにこころを奪われ始めた。
全てこれは脳のどっかが連携して一連の感受性が変わったのかもしれない。
どこかの店で聞いてしまったのか脳内に「木綿のハンカチーフ」がループして
気になるので調べたら宮本浩次(この読み方をコウジと読んでた)で涙し、
柳美里と尾崎世界観が対談しているのを見て面白く、
クリープハイプの歌詞に感心し尾崎世界観の「母影」を昨日読み切り、
藤井風の小さい頃からを一通りYouTubeで見て小学生の子供に見せてお前もこうなってくれと説得し、
King Gnuの三文小説の出だしの歌が余りに上手なので全部聴き、あぁこんなバンドができたら楽しいだろうなあとうらやましく思い
芸大も悪くないじゃんとホっとし、
MORRIEさん(Jpopではないのか)のKilling Me を見てその孤高感に圧倒され、、とキリがない、まだまだある。 それは厳格なベジタリアンだったのをやめて絶対近寄らなかったコンビニでお菓子を買って食べた時の「ぉお!なんてことだ!皆こんなうまいもん食ってたのか!」みたいな感覚に似ている。
最近のJpopの皆さんはアイドルではないので自然体なのである。
自然体のまま本気で追求しているんだろうと思う。
さて、私もあんな風なカッコイイ自然体があって
音楽ができたらどんなに幸せかと思うが、群馬弁も「なんなん?」「そーなん?」なのにスラっとそんな言葉は歌には出てこない。
自分の自然体はもっと朦朧としていて半覚睡の状態だ。
むしろその半覚睡な状態のほうが確信できる日常なのかもしれない。
まあ平たくいえば(残念ながら)アングラが日常ということだ。
小学生の頃夏休みは軽井沢の旅館をやっていた祖父母の家に預けられていた。
暇なので昼間はそこら辺を散歩するが山のほうへ向かって歩くことが多かった。
軽井沢といっても中軽井沢なので鬱蒼としていて別荘はあまりない。
家の手前の一本道をひたすら浅間山方向に歩いていくので毎日間違えることなく散歩に向かっては帰ってきた。
いつもの通りその道を進んで行った。いつもの通り小さな川を渡ってさらに進んでいくとまた水の音が聞こえる。
今日はもうちょっとだけあの水の音を超えるくらいまで行こう、と進んで行ったその水の音の先に広がったのは
高原では見たこともない百花繚乱の花が咲き乱れている蝶舞う別世界だった。「おおお!なんだここは!」と。
その先は崖のようになっているので先に進めない。水でも湧き出ているのかなあ。
すごい場所もあるんだなあ。としばらく見惚れてた。
そして次の日から雨になり1週間くらい散歩に行けず、母と弟が群馬から迎えにやってきた。
やっと雨も止んだので母と弟を連れて自慢のその場所に一本道を登って行ったのだが、どこまでいってもその場所は現れない。
おかしいな、おかしいな、と思って進んでもどんどん山になるだけだ。
崖もないし、絶対あったそこは忽然となくなった。
その夏休みの思い出の絵はもちろんその百花繚乱の花を描いて提出したが「え?軽井沢?沖縄でしょ?」て感じだった。
あの場所がおそらく私の自然体なのだろう。
普通に歩いて進んでいくと「え!なにこれ!」みたいな場所。
いつも歩いていると「そこ」が現れるんじゃないかと聞き耳たてていて、
夕暮れどき丑満時などワクワクする。
鏡にかかってる布をめくれば行けるのか?何をすれば行けるのか?あのとき私は何をしていたのか?
「教えてください」は
あのときのような森でうっかり寝てしまったら戻れず朽ち果ててしまって
白骨化し、目の奥からいろいろ生えてきてるにもかかわらず起きてみるか?
と思ってもあまりに時が経ちすぎて何をしたらいいかわからず、が、しかし
どうしても会いたい人がいたはずだったという記憶だけは確かな、
そんな歌、だろう、ぞ、と。
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